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ひといき

小山裕久の作り方:4

最後になります。楽しんで頂けましたら幸いです。
質問なども全て原文のままですので、読みにくいところなどもあると思いますが、ご容赦ください。


Q:小山裕久様がそれぞれの段階に忘れないことがありますか?

A:例えば、今日本で、あるいは世界中でもブームになっていますが、酢の物のソースに少しゼラチンをかまして、酢ゼリーといって、フランス語ではヴィネグレット・アン・ジュレというんですが、日本中大流行りですけれど、今から二十年ほど前に、私は酢の物が嫌いだったので、それを五年ほどかかって作り出して、日本中から食べに来てくれる料理人が沢山居たりして、今やもう、日本中ブーム以前の問題でスタンダードになってしまいましたが、それを作り出したこと。
 あるいは鮎という川魚がいるのですが、それを焼くのが色々な方法を考えたのが、私は料理屋の息子ですけれど、子供の時から鮎が嫌いだったんですけれども、それを頭は自身の油で唐揚げのように、内蔵のあるお腹は焼き物を焼いて、尻尾の方の鰭とか骨しかないところは炙るようにとか、一匹の魚の中で三種類の熱源を使って焼き上げるという事を考えついて、それも絶賛を博して慶んで頂きました。
 何か自分が食べにくいなと思った歴史的な財産のような料理をブラッシュアップというか、変える事によって沢山のお客様の評判を得た事が、やっぱり嬉しかったし、料理人としては美味しいといってもらったり、いいねと言ってもらった事が、やっぱり最高の思い出になっています。
 勿論、自分自身腕が未熟で出来なかった事が有ったりして悔しい思いをした事も沢山ありますし、それもこれも全てが料理の中に飲み込まれて、私自身は非常に今は幸せだと思います。


Q:小山裕久様によっては、料理の一番難しいことは何ですか?

A:日本人は桜の花が大好きです。
 桜の花というのは、大きな木に何百も何千も花が咲いているので、満開と言ってもそれはその木全体が花が咲いている状態をいいまして、少しずつ、五つ六つ、十個二十三十と咲き始めるのを五部咲き、三部咲きという風にいいます。
 もちろん、最初の頃に咲いた花はどんどん花びらになって散って、風にあおられて桜の花びらが花吹雪といって木の周りを包むかのように散って行きます。
 日本人はそれを花として愛でるんですけれども、私は人間、あるいは料理人の人生によく似ていると思います。
 私も今六十が来て、じゃあ今若い時と同じように包丁が切れるのかなとか、いくつかの事で体力の衰えを感じています。
 しかし思いやりであるとか、寛容であるとかという事は、随分若い時より幅が広がったように思います。
 勿論、若き日の切れの良い若者らしい料理が今出来るかというと出来ないかもしれないかもわかりません。
 しかし、実は私が三十の時に出した本が有るんですが、今見ても、どの頁を見てもいい若い料理人がいるな、と言う風に自分で思います。
 じゃあ今これができるかというと、思いの深さが違うので、ちょっと違うよなというところがあります。
 だから、料理の一番難しいところはというと、それぞれを花と見立ててどう生きるかということだと思うので、私は今とりあえず衰えて行く目や体力、あるいは体の体調を整える事に一生懸命心を砕いています。
 それはなぜかというと、勿論思いの深さや寛容さはこれからも向上するかもしれませんが、肉体の衰えはどうしようもないので、それをなるだけ遅らせたり、良い状態でそれぞれの年代に併せて仕事ができる、それを精一杯心がけています。
 若き日も、中年の時も今も、それぞれ作る料理は同じなんですけれども、その時々で自分の思いや形を変えながら一生懸命努力をするという事が、料理人に課せられた仕事のように思います。
 その移り変わって行くところを、気づかずに過ごしてしまうと、実はその先に大変な事が待っているので、自分のどこがどうなっているかということにいつも気づいて、同様に作るものも時代とともにどうなるかという事を気遣う、そこが一番難しいのではないかなと思います。


Q:小山裕久様の昔の先生は厳しかったですか?先生とのことを教えてもらえますか?

A:私が師匠と思っているのは吉兆というところの湯木貞一というお亡くなりになった吉兆の創業者で、ただ直接お教えを願ったのは三年半か四年ぐらいの事だったので、その後しかし三十年に渡って何くれと気にかけて頂いた事が、幸せだったと思います。
 ただ、厳しかったかどうだったかというと、最初には言いましたけれど直属の料理長であるとか、先輩は本当に厳しかったですけれども、私は特別に目をかけていただいて、大事にして頂いたので、厳しかったという思いはありません。
 ただ、ご自分や料理に対して甘い人だったかと言われると、私は三十数年おそばに居て、たったの一度も日本料理以外のお話を聞いた事がないので、料理に関しては大変厳しい方だったという風に思っています。
 私も同じように人生を送りたいと思っているので、楽しい事やいくつかの事が有っても、料理に対してだけは、他人ではなく自分に厳しく有りたいと言う風に思っています。


Q:何の為に料理学校を創立しますか?

A:私たちが料理の修業を始めた頃は、ほとんど修行からスタートするのが多くて、料理学校を出て料理人になる人は少なかったです。
 ところが、現在の料理界の進歩というのは、過去百年を二十年でこなすというくらいのスピードで進歩していますし、私自身も世界中を回って思いますけれども、世界中の料理の交流も過去何世紀もに渡ってかかってものがほんの十年ほどで進んでしまうような時代になっています。
 その膨大な料理の知識や周りの環境に対応する為には、料理学校で学ぶ事が料理人として若き日にいくつかの事を学んでおく事が将来に対して大変役に立つと思うので、自分自身が学べなかった事を学校を作って学べば後輩の為に良いのではないかと思って、この食材の素晴らしい徳島の地で料理学校を作りました。


Q:料理人を選んだことを後悔しますか?

A:本心を言います。白衣を着て料理場におりて、ごぼうを洗った日から、今日に至るまで、只の一度も後悔した事は有りません。
 幸せな人生だったと思っています。


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以上です。
ありがとうございました。

日時: 2010年02月06日 21:45
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